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【第2章】同一チャンネルWi-FiのAP物理 — CCAの2つの閾値、エアタイムの奪い合い、そして干渉とドロップまで

シリーズ「複数APの同一SSID環境での端末接続メカニズム」全3回の第2回。第1章では端末のAP選択メカニズムを扱いました。本章では、同一チャンネルにAPが複数ある環境で電波の上で実際に何が起きるかを、CCAの閾値からフレーム廃棄(ドロップ)まで追いかけます。


同一SSID・複数APの設計で、チャンネルが足りずに同一チャンネルのセルが近接する — 2.4GHz帯では日常茶飯事です。このとき「干渉して遅くなる」と一言で片付けられがちですが、実際に起きていることは2種類の全く異なる現象であり、対策も測定方法も違います。本章はその物理を、規格の数値に基づいて分解します。


同一チャンネルWi-FiのAP物理
同一チャンネルWi-FiのAP物理

1. CCAの2つの閾値 — すべてはここから始まる


Wi-Fiは免許不要帯域を「譲り合い」で共有します。その譲り合いの入口がCCA(Clear Channel Assessment)、つまり送信前の「チャンネルが空いているか」の判定です。802.11規格は20MHz幅に対して2つの閾値を定めています。


  • CCA-SD(Signal Detect / プリアンブル検出): -82dBm — 他のWi-Fi信号のプリアンブル(フレーム先頭の同期部)をこのレベル以上で検出すると「ビジー」と判定し、送信を待機します。プリアンブルを取れればPHYヘッダのRate/Length情報からフレームの継続時間もわかるため、その終わりまで待ち続けます

  • CCA-ED(Energy Detect / エネルギー検出): -62dBm — Wi-Fi以外を含む帯域内エネルギーがこのレベルを超えた場合も待機します。SDより20dB鈍感なのは、プリアンブル相関という「構造を知っている検出」の方が、単純な電力測定より遥かに感度を上げられるためです


これらは20MHz幅の値で、40MHz幅ではそれぞれ-79/-59dBmへと帯域幅に応じてスケールします(電力が広い帯域に分散するため)。

ここから重要な帰結が導けます。隣の同一チャンネルAPの信号が-82dBmを下回れば、原理上「譲り合い」は発生しない。逆に-82dBmを超えて聞こえていれば、両者は同じ土俵で時間を分け合う。この境界線が、同一チャンネル環境のすべての挙動を分岐させます。


2. 「聞こえている」場合 — DCFによる行儀の良い時間折半


2台の同一チャンネルAPが互いに-82dBm以上で聞こえる場合、両AP(と配下端末)は同一の衝突ドメインを形成し、DCF(Distributed Coordination Function)/EDCAの分散制御で送信権を取り合います。中央の調停者は存在しません。


送信権獲得の手順

各局は送信前に次を実行します。

  1. キャリアセンス: 物理CS(CCA-SD/ED)と仮想CS(NAV: 他局フレームのDurationフィールドから予約時間を記録)の両方で媒体を確認

  2. IFS待機: アイドルになってからAIFS(ベストエフォートならDIFS)を待つ

  3. ランダムバックオフ: Contention Window(初期CWmin=15)から一様乱数でスロット数を引き、9µsスロットでカウントダウン。途中で他局の送信を検出したらカウンタを凍結し、アイドル復帰後に再開

  4. カウンタが先に0になった局が送信

2台のAPは統計的に対等なので、長期的にはエアタイムをほぼ折半します。ここで押さえるべきは、折半されるのは「時間」であってスループットではないということです。


スループットへの定量的な影響

(a) 折半+衝突オーバーヘッド。 AP単独で600Mbps出る環境で2APが競合すると、各300Mbps……とはならず、実際はやや下回ります。両者のバックオフカウンタが同時に0になると衝突し(2局・CWmin=15なら送信機会あたり約6%)、フレーム全体が無駄になった上、両局ともCWを倍化(15→31→63→…→1023)して再送するためです。2局程度なら効率低下は数%で、実効は「単独時の約45〜48%ずつ」が典型です。


(b) レート非対称の罠 — エアタイム公平はスループット公平ではない。 DCFが公平化するのは送信「機会」です。つまり遅い局ほど1回の送信で長く電波を占有します。AP-Aの配下が高MCS(例: 1201Mbps)で、AP-Bの配下に遠距離の低MCS端末(例: 7.3Mbps)がいると、同じ1500バイトの送信にBは百倍以上の時間を使い、Aのスループットまで道連れで激減します。「低速端末1台がセルを殺す」現象がCCI環境では他人のAPの端末によって起きる — これが同一チャンネル共存の最も厄介な性質です。


(c) 管理フレームの固定費。 ビーコンは各APが約102.4ms間隔で、最低基本レートで送信します。2.4GHzのデフォルト(1Mbps)ではビーコン1発で2〜3msを占有するため、同一チャンネルにAPが増えるとビーコンだけでエアタイムが数%〜十数%消えます。1台のAPで複数SSIDを吹く構成は、この固定費をSSID数だけ倍増させます。最低レートを6Mbps以上に引き上げる定番チューニングの根拠がここにあります。


重要な整理: これは「干渉」ではない

この状態を計測すると、再送率は低く(10%未満)、フレームロスもほぼゼロです。品質は健全なまま、容量だけが折半されている。SINRを劣化させる物理的な干渉とはメカニズムが根本的に異なり、正しくはエアタイムの共有です。実害の大きさは相手の稼働率との掛け算で決まります。-75dBmで聞こえる隣接APでも、稼働率5%なら被害は軽微、50%なら深刻 — この「レベル×稼働率」の二軸評価が、第3章で述べるサーベイ判定の基礎になります。


DCFバックオフの模式図
DCFバックオフの模式図

3. 802.11axの回答 — OBSS-PDによる空間再利用


「聞こえたら譲る」ルールは安全側に倒しすぎている、という問題意識に規格側も答えています。

考えてみてください。自APからの信号を-40dBmで受けている端末にとって、-80dBmで届く遠方BSSの信号はSIR 40dBの雑音にすぎず、同時送信されても復調には何の支障もありません(復調器は強い信号にロックする「キャプチャ効果」)。それでも-80dBm > -82dBmである以上、従来ルールでは律儀にエアタイムを譲ってしまう。受信品質は無傷なのに、送信機会だけ失う — 高密度環境のスループットを不必要に削る構造的な非効率です。

802.11ax(Wi-Fi 6)のOBSS-PD Spatial Reuseはこれへの処方箋です。フレームのPHYヘッダに埋め込まれたBSS Colorで自BSS/他BSSを瞬時に識別し、他BSSのフレームに対してはCCA閾値を-82dBmから最大-62dBmまで引き上げ、「聞こえても無視して同時送信」を許します。代償として自局の送信出力を下げるルールとセットで、遠方BSSの受信者を潰さないバランスを取ります。対応は11ax以降の機器のみで、有効化の状況はベンダー実装に差がある点は実務上の注意です。


4. ドロップまでの因果連鎖 — 劣化の最終段階


エアタイム共有だけなら「遅いが壊れない」で済みます。しかし条件が悪化すると、フレーム廃棄(ドロップ)に至ります。発生箇所ごとにメカニズムが異なるので、分けて追います。


(a) 再送上限超過によるドロップ(無線区間)

802.11はACKが返らないフレームを再送しますが、上限があります(規格既定でショートリトライ7回、ロングリトライ4回)。上限到達でフレームは黙って破棄されます。再送のたびにCWが倍化するため、7回の再送の合計所要は最大数十msに達し、その間キューは先頭詰まり(Head-of-Line blocking)を起こします。

さらに悪いことに、多くの実装は送信失敗を電波品質の問題と解釈してレートフォールバック(MCSを下げる)を発動します。失敗の原因が衝突だった場合、レートを下げてもぶつかる確率は下がらず、フレーム滞空時間が伸びて衝突ウィンドウがむしろ拡大する悪循環に入ります。衝突とSNR不足を区別できないことは、DCFの構造的弱点です。


(b) キュー溢れによるドロップ(バッファ)

エアタイム折半で実効レートが落ちると、流入がさばける量を超えた時点でAPのキューが溜まります。従来型FIFOならテールドロップですが、バッファの深い機種では捨てる前に数百ms〜秒単位のバッファブロート(遅延膨張)が先に来て、ドロップより先にレイテンシで体感が悪化します。近年のAPが採用するFQ-CoDel系のキュー管理は、逆に早期に少量を意図的に捨ててTCPを減速させる「健全なドロップ」で遅延を抑えます。


(c) 各層での見え方

  • TCP: 無線区間の再送が先に効くため、軽度の競合ではロスとして見えず、RTT増大とスループット低下だけが現れます。キュードロップが始まると輻輳制御で帯域が波打ちます

  • VoIP/ビデオ会議(UDP): 再送上限超過とジッタバッファ超過が直撃します。目安としてロス1%・ジッタ30msが実用限界とされ、衝突起因のロスは時間的にバースト集中するため、同じロス率でもランダムロスより知覚品質が悪くなります


測定上の要点: Retry率は先行指標、ロスは確定指標

パケットキャプチャ(モニタモード)のRetryビット比率と、実ロスは別物です。Retry率20%でも再送で救えていればアプリ層のロスはほぼゼロ。Retry率が15%を超えたあたりから、上限超過による廃棄が顕在化し始めます。つまり「Retry率=早期警報、UDP損失率=確定判定」の二段構えが正しい測定設計です。ドロップの実測にはUDP一定レート送信(iperf3 -u)の損失率が素直で、TCPスループット測定では再送に吸収されて見えません。また、スループット試験は両AP同時負荷で行わないと折半と衝突の実態が現れない点も要注意です。


劣化の因果連鎖図
劣化の因果連鎖図

5. スペクトラムで見える世界、キャプチャで見える世界


本章の現象は、測定手段によって見え方が全く異なります。ここを混同すると診断を誤ります。


Wi-Fiアダプタのスキャン(ビーコンRSSI一覧)でわかること: どのチャンネルに、どのBSSIDが、何dBmで存在するか。CCA-SD閾値(-82dBm)との比較による「譲り合いが発生するか」の一次判定はこれでできます。


スペクトラムアナライザでしかわからないこと: チャンネルの実際の埋まり具合です。エアタイム共有の実害は「レベル×稼働率」で決まると述べましたが、稼働率 — どの時間帯に、どれだけの密度で電波が飛んでいるか — はビーコン一覧からは読めません。Wi-Fi以外の干渉源(電子レンジ、Bluetooth、監視カメラ等)によるCCA-EDの発火や、ノイズフロアの持ち上がりも同様です。


パケットキャプチャでしかわからないこと: Retry率、レート分布、どのBSSの誰が低速で長く喋っているか(前述のレート非対称の犯人特定)。

当店(TokyoWireless / wi-t.com)で取り扱っているMetaGeek Wi-Spy + Chanalyzerは、この2番目の領域を担う定番機材です。密度ヒートマップとウォーターフォール表示で「チャンネルの時間×周波数の埋まり方」が視覚化され、本章の「レベル×稼働率」評価をそのまま実測に落とせます。衝突は同時刻・同周波数の重畳バーストとして波形に現れますが、定量にはキャプチャのRetry率を併用する — 機材の役割分担を押さえた測定体制の構築についても、ご相談を受け付けています。


6. 本章のまとめ


  • CCAには2つの閾値がある: プリアンブル検出**-82dBm**、エネルギー検出**-62dBm**(20MHz幅)。同一チャンネルAPの挙動はこの境界で分岐する

  • 互いに聞こえる同一チャンネルAPはエアタイムを時間折半する。品質(再送・ロス)は健全なまま容量が減る。これは干渉ではなく共有であり、実害は「レベル×稼働率」の積で評価する

  • DCFの公平性は送信機会の公平であり、低速局が全員を道連れにする。他BSSの低速端末が自セルの性能を左右し得る

  • 劣化の最終段階がドロップ: 衝突→CW倍化→再送上限超過という無線区間の経路と、実効レート低下→キュー滞留→廃棄というバッファの経路がある。Retry率15%超が警報ライン、確定判定はUDP損失率

  • 802.11axのOBSS-PDはBSS Colorで他BSSを識別し、閾値を-82〜-62dBmの範囲で引き上げて同時送信を許す規格側の回答

ここまでは「互いに聞こえている」行儀の良い世界の話でした。次章(第3章)では、聞こえないのに受信点では重なる — 隠れ端末という最悪のパターンを、具体的な数値例で解剖し、サイトサーベイの判定基準に落とし込みます。


出典・参考資料

  1. IEEE 802.11-2016 (17.3.12 CS/CCA) — CCA-SD -82dBm / CCA-ED -62dBm(20MHz)の規格値、リトライ上限の既定値

  2. Extreme Networks「What is a Clear Channel Assessment (CCA)?」 — SD/ED閾値とキャリアセンスの解説 https://www.extremenetworks.com/extreme-networks-blog/what-is-a-clear-channel-assessment-cca/

  3. Extreme Networks「Can 40 MHz and 80 MHz channels co-exist in a Wi-Fi 6E world?」 — 帯域幅によるCCA閾値スケーリング https://www.extremenetworks.com/resources/blogs/can-40-mhz-and-80-mhz-channels-co-exist-in-a-wi-fi-6e-world

  4. IEEE Std 802.11ax-2021 / MathWorks「Spatial Reuse with BSS Coloring」 — OBSS-PD閾値の調整範囲(-82〜-62dBm)とBSS Colorの動作 https://www.mathworks.com/help/wlan/ug/spatial-reuse-with-bss-coloring-in-an-802.11ax-network-simulation.html

  5. Cisco Catalyst 9800 Configuration Guide「BSS Coloring」 — OBSS-PD Max Thresholdの設定範囲(実装例) https://www.cisco.com/c/en/us/td/docs/wireless/controller/9800/17-15/config-guide/b_wl_17_15_cg/m_bss_coloring_ewlc.html

  6. Gjermund Raaen「The Importance of Detecting the 802.11 Preamble」 — CCA/CDとCCA/EDの関係の実務解説 https://gjermundraaen.com/2020/11/22/the-importance-of-detecting-the-802-11-preamble/

※ 衝突確率・実効スループットの数値例は2局競合の理論値・一般的実測傾向であり、トラフィックパターンや実装により変動します。


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